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12月1日の練習

  • keichiku2001
  • 3 時間前
  • 読了時間: 2分

 今日は最初の一音から「合唱」としての基本というか醍醐味というか、何を大切に歌わなければならないかを感じさせられた。

 それは他の合唱団を聞きに行っても思う、発声も音程も響きも発音も上手だけれど薄いと思うとき、それはハーモニーが聞こえてこないこと。

 それは客観的には分かっているけれど、自分が歌う段になると自分の声のチェック(発声としての頭の下までの体が使えているか、楽に響いているか、更に頭の響き場所のどこが調子良くて悪いか)にはしってしまって全体をおろそかにしてしまっている。それだと目標にしている「心が伝わる合唱」にはならないと「瞳」の始まりの歌詞なたのの音の練習で痛感する。

 富澤先生のお話から前回の練習(前回は家庭の事情でお休みして書けませんでした)でそれをやってできるようになっていたんだと知りました。

①    同じ音質の響き(ピアノの前奏が同じソシレなのでピアノの雰囲気と同じ響きをだそうとすると考えていいのではないかと思う)

②    アルトとバスは根音の同じソ(ピアノの最低音と同じ)でそろえ、テノールはその完全5度の自然倍音意識、一番の要はソプラノのシ第3音が5度から降りたレドシのシとして出せるか。

③    「瞳」の最初はピアノ前奏がmpのソシレで入り、歌が入ると歌のソシレがmpでピアノがpになる。ト長調Ⅰの和音の響きの調和がうまくいったらゾクゾクの感動ものになるなと思う。

 落葉松の曲集は落葉松のイメージが強すぎて私は寂しい物悲しいと思いこんで歌ってしまうけど、その他は明るかったり楽しかったりする。

「瞳」は最初の1ページが長調で2ページ目から短調でドラマチックになってしまう、その後も時々現れる長調をいかに明るい澄んだ響きで提供できるか「瞳」の魅力かなと思う。


次回も練習場所は公会堂リハーサル室です。 「落葉松」と「心に花を咲かせよう」の曲集をお持ちください


 
 
 

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